嵐が闇の中から救ってくれた話。

中学1年生の頃の私は一人ぼっちだった。

 

 

家庭の事情で小学校卒業すると同時に県内ではあるが家を引っ越すことになり、仲良しの友達と離れ離れにはなったものの当時12歳の私はそこまで重く受け止めることはなかった。

人間関係にも恵まれるだろう、きっと新しい学校でもすぐに友達はできるだろう。入学式なんだからみんな初対面みたいなものだろう。そう思っていた。しかしどうにもこうにも入学式当日、教室に入るともうすでに仲良しグループはできており、当時は大の読書好きだったため休み時間になっても誰にも話しかけず、一人で本を読んでいた。(ちなみに入学式当日誰とも給食を食べる人がいなくてクラスで号泣した)

その後友達はできたが、この子が相当性格に難があり、一緒にいても常にその子の顔色を伺っている状況だったが、この子に嫌われれば私は一人ぼっちになると分かっていたので、一緒にいるしか術はなかった。

 

いっそのこと、一人になった方が楽かも...

 

そんなことを考えながら、夏休みがきた。誰とも遊ばず、部活もそこまで活動がなかかったため、気持ちも楽になっていた夏休みの最終日。しかし、自分から喋ることもできない、一緒にいても面白くない私と一緒にいてくれた時間はわずか半年だった。

2008年の秋、私は一人ぼっちになった。

 

明日から一人ぼっちな生活が決まったわけだが、誰にも相談はできない、親には心配をかけたくない。そんな私はその日から毎日自分の部屋で泣くようになった。毎日、何人の子と話したか指で数え、体育の授業は一人で体育座り。休み時間は一人で漢字練習。

給食の時間で机をくっつける時も、隣の男子には机を離され、お盆を配る時も触るな、闇と暴言をはかれた。

そして毎日自分の部屋で泣くのだ

 死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい死にたい

 

生きるのが辛かった。明日のことを考えるだけでこんなに苦しい思いをするのはもう嫌だ。そろそろ限界がきた、そんなある日のことだった。

 

何気なく毎年見ている24

いつものように、自分の部屋に行き、ベッドに横になり布団をかぶり泣く。制服だろファーン、というMacの立ち上がる音を聞きながら着ていたものをそのへんに脱ぎ捨て、テレビを付け、音量をごくごく小さくし、コンビニで買ってきたサラダとビールをごそごそと取り出す。立ち上がったPCからニコニコ動画に接続。酒を飲みつつ、深夜までかけてランキング上位50個くらいの動画をくまなくチェックするのが日課だった。私は音楽を聴かないかわりにBGMとしてTVのバラエティを流す習慣があって(人がいっぱいざわざわしている音がすると安心するのだ、居酒屋のように)、その日も同じようにTVをBGMとして流しニコニコ動画に集中していた。

 

なぜTV画面を見たのかわからない。とにかくふと目をやると、アメトークが始まるところだった。

「愛方大好き芸人」というテーマで何人かの芸人さんが出てきた。キャイーンのウドちゃん、おぎやはぎ矢作さん。オードリー春日さん…は、M1でブレイクした人だよね。Qちゃん…はエンタ?最近流行らしい1発ネタで有名になった人だっけ…。ん、ひとりだけ知らない人がいるな。でも見たことあるな、誰だっけ。

ぼーっと見ていたらその名前のわからない人は「すがちゃん」と呼ばれていた。相方は「宇治原」だという。

ああそうだ、ロザンだ。あの、京都大学出身の。クイズ番組でちょっとありえない賢さを見せていた記憶がある。へー、相方あまり東京で見たこと無いけど、仲良しなんだな。

 

菅「うーちゃん、めっちゃ賢いでしょ? クイズ出てる時のあいつ、めっちゃ賢くないですか? あと、みんな注目してないんですけど、間違えた時がぁ… めっちゃ可愛い♥」